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2007/09/05 (Wed) 13:38
瀬島龍三氏が90歳を越すご高齢で老衰で亡くなりました。

戦前・戦中・戦後と国の根幹に関わる位置に居続けた、ほんとうに数奇な運命をたどられた人物だと思います。残念なのは、太平洋戦争についてその発端、原因、経緯、破局、すべてご存知だったのに一切語ることなく逝かれたこと。

1回だけTVでインタビューに答えている瀬島氏の姿を見かけましたが、重い十字架を背負い込んで生きてきたように見えました。
思えば、シベリア抑留から生きて帰ってから後の長い日本における瀬島氏の人生は、長い長い贖罪の時間だったように思えます。

たたみの上での大往生でしたが、果たして、氏の心中に平穏は訪れていたのでしょうか。

何はともあれ、お疲れ様でした。

<以下引用です>
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070905-00000045-san-soci&kz=soci
瀬島龍三氏死去 秀才中の秀才 数奇な運命
9月5日8時3分配信 産経新聞


 さすがは陸軍士官学校を2番、陸軍大学校をトップで卒業した「秀才の中の秀才」だと、妙に納得させられる特徴的な話し方だった。4日亡くなった瀬島龍三伊藤忠商事元会長の事務所を訪ね、政治や国際情勢について意見を聞くと、いつもこんな答えが返ってきた。

 「一つにはこう、二つにはこんな案もある。三つにはこうするのもよいが、この場合は2番目が適当だろう」。何について尋ねても、3案ほど示してから結論を語った。

 2003年の3月上旬、イラク戦争開戦の見通しを聞くと、瀬島氏はこう予言してみせた。

 「開戦日は今月20日だと思う。軍隊というものは、一度展開すると、決まったようにしか動けないものだ」

 イラクの気候、月の満ち欠け、米軍のその時点での部隊配置を計算すると、そうなるという。後に防衛庁(当時)情報も得ての結論だと知ったが、開戦日は瀬島氏の言った通りとなった。

 戦前・戦中は師団参謀、大本営参謀…と将帥を補佐し、戦後は歴代首相の指南役となった瀬島氏は、参謀としての生き方や、思考・分析の手法が血肉化していた。

 「昭和の生き証人」として、数々の歴史の現場に立ち会ってきた人物だけに、体験談も興味深く生々しかった。

 現在の北朝鮮北部では、当時複数いたという金日成を名乗る匪賊(ひぞく)から銃撃を受けた。昭和15年ごろ、大本営参謀として有事動員の予算を大蔵省と詰めたとき、相手側の窓口は若き日の福田赳夫元首相だったという。11年間のシベリア抑留中には、ソ連側証人として東京裁判に出廷。40代半ばで入社した伊藤忠商事で、会長にまで上り詰めた。

 旧陸軍の人脈から韓国の朴正煕、全斗煥両大統領や経済界に知己が多く鈴木、中曽根、竹下、海部の各内閣で非公式特使として訪韓し、歴史問題などで水面下の調整を進めた。ただ、歴代首相の中の1人に対してだけは辛辣な評価だった。理由は、マスコミに特使訪韓が漏れた際、「この人だけが『知らない』と逃げた」からだという。

 瀬島氏は抑留時代について回想録「幾山河」に詳しく書いているが、あまりその時代のことに触れたがらないこともあった。ソ連側との密約うんぬんと勘ぐられ続けるのが嫌だったのだろうし、思い出したくない出来事があったのかもしれない。(阿比留瑠比)

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テーマ:戦争と平和ジャンル : ニュース
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瀬島龍三瀬島 龍三(せじま りゅうぞう、1911年12月9日 - )は、大日本帝国陸軍|陸軍軍人、経営者。富山県出身。岳父は松尾伝蔵。陸士44期。陸軍幼年学校を経て、陸軍士官学校、陸軍大学校を首席で卒業。太平洋戦争時、大本営参謀としてガダルカナル島の
2007/09/06 (Thu) 07:51 | ゆいの部屋
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